1912年の春、その晩、
海に浮かぶ宮殿の中は明るく暖かく、
ハミングやドイツのワルツの陽気なリズムといった
小さなひとつの世界のちょっとしたざわめきが
楽しげに響いていきました
・・・一等船客 ダフ・ゴードン夫人
エドシック・モノポール
エドシック・モノポールは世界で4番目に古いシャンパンメゾンです。
時は1777年
ドイツ人羊毛商のフロレンツ・ルードウィッヒ・エドシックがシャンパーニュ地方の大都市ランスを訪れた際、同じく羊毛商のニコラ・ペルトワ氏と出会い、8年後、1785年にペルトワ氏の娘と結婚したことから始まります。
そして彼らはランスを拠点として、ワインの生産を始めました。
このシャンパン事業は大成功を収めます。
1789年、シャンパンを王妃に献上したところ、大変に気に入られ、王妃御用達のシャンパーニュに選ばれます。
19世紀初頭にはロシア皇帝にも賞賛され、また多くの法院から唯一納入を認められたシャンパンとなり、そして、1912年にはタイニック号の公式シャンパンとして選ばれました。

エドシック・モノポールにはまるで神話のようなエピソードがあります。
それは、偶然が重なり合い、生まれた「奇跡」でした。
時は1916年、第一次世界大戦中フィンランドで駐留するロシア軍の為にロシア皇帝ニコライ二世によりオーダーされた1907年のビンテージ エドシックモノポール3000本(2400本という説もあり)や、ブルゴーニュワイン、コニャックなどを船積したジョンコピング号がサンクトペテルブルグへ向け出航しました。
しかし11月3日、スウェーデン沖を航海途中のジョンコピング号は、ドイツの潜水艦Uボートにより撃沈させられたのです。
そして、80年の時が流れた1998年のこと、沈められたシャンパンは伝説へと変わりました。
海底で80年という月日を過ごしたにも関わらず、飲める状態で引き上げられたのです。
ジョンコピング号が沈んでいた海底64mという深さは、ワインを劣化させる原因となる光を遮り、シャンパンの保存にも適した安定した水温を維持しているそうです。
そして、シャンパンボトルの中のガス圧と同じ水圧という、ワインの保存においてベストな偶然を持ち合わせていました。
エドシックモノポール自体も長期熟成に耐えられるシャンパンのため、ほぼ完璧な保存状態で発見されました。
エドシック・モノポールと共に積載されていた他のワインやコニャックなどのアルコール類はすでに飲める状態では発見されませんでしたが、エドシック・モノポールだけは、抜栓した時にはまだまだ若々しい状態だったといいます。
世界的に有名なワイン評論家のクロード・マラティエ氏は、沈没船から引き上げられた直後のエドシック・モノポールをテイスティングして「驚くべき事に、このエドシック・モノポールには、まだ若々しい果実味(カリンやアプリコット)と、バブルも存在しています。古酒の場合、開栓後に数分で劣化するということも珍しくありませんが、そのような短命さも見当たりません。今後、再び地上で数年間保存したとしても全く問題ありません」と言ったそうです。
この奇跡のエピソードは世界中に発信され、人々を驚かせ、タイタニックに次いでエドシック・モノポールの不動のポジションに位置付けされました。
品種はピノ・ノワール70%、シャルドネ20%、ピノ・ムニエ10%で作られる辛口です。
爽やかな果実味にバターや樽香、スパイスなどの香りが広がり、コクがありながら滑らかで、すっきりとした口当たり。
きめの細かいクリーミーな泡が立ち上がります。