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歴史的偉人アレキサンダー大王とマケドニアワイン
アレキサンダー大王が活躍した時代のワインの役割
アレキサンダー大王が生まれた紀元前300年頃、マケドニアの宮廷にとっての宴とはただ、酒や食事、歌や踊りを楽しむものではなく、政治的に極めて重要な役割を果たしていたそうです。
マケドニアワインはこのような社交の場で、重要な役割を果たしていたと考えられています。
当時、お隣のギリシャでは水で割って飲む美酒としてワインは取り扱われており、宴の場では女性を同伴させて、歌や踊りを楽しむ場でもあったようですが、マケドニアではワインを水で割る習慣はなく、宴の場で女性を同伴させることもありませんでした。
マケドニアにとっての宴とは王族と貴族達による様々な意見交換や議論が行われ、重要な政策が決定される場所だったようです。
アレキサンダー大王の教育係だったアリストテレスによるブドウ栽培
紀元前3世紀、今から何千年以上もの大昔から、ブドウ高貴化のための栽培技術がアリストテレスによって行われていました。
ワインの発展を探る歴史の中でも、アレキサンダー大王とアリストテレスは重要な役割を果たしているキーパーソンです。
アレキサンダー大王の家庭教師でもあったアリストテレスはソクラテス、師匠であるプラトンとともに、言わずと知れた西洋最大の哲学者の1人です。
彼は哲学のほか、政治学、宇宙論、天体学、自然学、気象学、博物史学、心理学など多岐にわたる著作集をまとめ、さらには植物学者としてギリシャにおけるブドウ栽培に関する叙述もまとめあげました。
彼はブドウ改良に接ぎ木の理論と技術とを明らかにしました。
アリストテレスの愛弟子であるテオフラストスは「植物誌(Historia Plantarum)」や「植物原因論(De Causio Plantarum)」といった論文でブドウ栽培についてまとめており、その時代の挿し木の技術や刈り込み技術などについて記述されています。
ワイン学者といわれる大プリニウスもまた、アリストテレスから影響を受けています。
まさに、アリストテレスはブドウ栽培に関しての基盤を作った人物でしょう。
また、古代ギリシアには蒸留酒を示す言葉は見つかっていませんが、アリストテレスによって蒸留法が導入され、蒸留に適したと思われるワインが生産されていたことがわかっているそうです。
ワインやビールのレベルが高かったため、蒸留酒を作らなくても良い環境だったのでしょう。蒸留は海水から真水を得る方法として研究されていたようです。
アリストテレスに習ったアレキサンダー大王の人柄と業績
レキサンダー大王の父のフィリッポスが、息子の家庭教師にアリストテレスを選んだことは、世界史にとってもなくてはならなかった決断だったと思います。
20歳という若さで父から王位を継承することになりましたが、その後、類を見ない戦役で、30歳までにギリシャからインド北西にまたがる大帝国を建設しました。
戦いに出れば決して負けることがなく、確実な戦略で領域を拡大させました。
感心するのは私利私欲のための世界征服ではなく、ギリシャ、メソポタミア、エジプト、インド、ペルシアなどの当時考えられた世界の主要部をひとつなぎににすることで、異文化交流と貿易をする政策を行い、「ドラクマ」と呼ばれる通貨を作ることで迅速に実現させたという事実です。
戦術・戦略の天才である一方で、彼は芸術、読書、文学を愛し、さらには自分が征服した国々の調査を怠ったことがなく、軍事行動の最中にあっても鋭い視点から観察し、結論を引き出していたと言われています。
アレキサンダー大王が歴史上において最も成功した軍事指揮官であると言われるこの背景にはアリストテレスが深く関わっていると考えられます。
アレキサンダー大王がワインで行った儀式
アレキサンダー大王がアジア最強といわれたペルシアを打ち破ったイッソスの戦い、その戦いのために犠牲となったギリシア側の戦死数も膨大な数でした。
当時、死者をワインや聖水で洗うという儀式が行われていたそうですが、その戦死数にも関わらず、アレキサンダー大王はその一人一人にワインで死者への礼を捧げたそうです。
アレキサンダー大王がワインで死を免れたという逸話、そして死の原因
狩猟の際、アレキサンダー大王に叱られ、恨みを持った近習達により、ある晩、アレキサンダー大王暗殺の計画を立てられていことがあったそうです。
その計画は、恨みを持つ近習7人が揃い、夜の警備を担当することになった際、就寝中のアレキサンダー大王を殺害するという計画でしたが、彼はその日、徹夜で宴会に参加し続け寝床には戻らずワインを飲み続けたため、暗殺計画は未遂に終わったそうです。
彼は高熱により33歳という若さでこの世を後にします。
その原因は盟友ヘファイステイオンの死から、徹夜でお酒を飲む日が続くようになり、体力が低下したことが原因だともいわれています。
いずれにしても、アレキサンダー大王の偉業は素晴らしいものであり、彼の存在はワインの歴史においても重要な人物です。