シャトー・ラトゥールの歴史は古く、資料で確認できるのは1331年10月18日、カスティヨン家の領主であったポンスからの許しを得て、要塞として作られたと考えられています。
1378年フロワサールの「年代記」に登場している塔こそ、ラトゥールです。
当時は百年戦争の真っ只中で、要塞はフランス国王によって雇われていたブルトン兵に守られていました。
しかし、3日間の包囲の後、アングロ・ガスコン軍が要塞を奪取し、守備隊を駐留させたそうです。
その後、1453年7月17日の百年戦争の降伏協定まで、イギリスの支配下になっています。
ラベルに描かれている塔は、イギリスが15世紀に海賊の攻撃から身を守る為の要塞の跡地に建てられたもので、今でもずっとブドウ畑を見守り続けていました。
17世紀末頃までは、畑の一部でブドウが造られている程度でしたが、アレクサンドル・ド・セギュール候がシャトーを所有するようになり、偉大な歴史が始まることになります。
https://www.chateau-latour.com/en
上記の画像はシャトー・ラトウールの動画の一部です。綺麗な景色に圧感です。
18世紀には既に他のボルドーワインの約5倍の値段で取引されるようになっており、18世紀末には20倍の値段で取引されていたと言います。
この人気を受け、18世紀中ごろには38ヘクタールだった畑が、18世紀末には47ヘクタールへ広がり、フランス革命の困難な状況の中でも、ラトゥールはどっしりと構え、ブドウを守り抜きました。
しかし、1755年、彼の死後、ラフィットの一部だったラトゥールは分割されて、独自のシャトーとして経営がなされるようになりました。
18世紀はじめ、イギリスの市場の回復と共にラトゥールの評価は次第に世界中へと広まり、かのアメリカ大統領トーマス・ジェファーソンもまた、ラトゥールを高く評価しました。
ビオディナミを取り入れたワイン造り
ラトゥールのセカンドラベル
「ポイヤック・ド・ラトゥール」はサードラベルにあたります。
造り方は基本同じですが「ランクロ」以外の3つの区画からとれた若木のブドウを使って造られています。